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がんばるのが怖い

  • 心の健康に関するコラム
  • 2012.04.24

「がんばる」のが怖かった時があります。うつ治療の時です。

病院に行き始め、仕事の休みを取った当初は逆に「休むのが怖」かった。

 

休んで何もしないでいるのが治療で、がんばらないことが薬と聞いてはいたけれど、何かしないと不安感がありました。

でも「何もしないという選択肢」があるということを受け入れた時、ホッと楽になりました。

 

 

そして思い出してみると、「無理してがんばっ」て燃え尽きることを繰り返していたと改めて気づきました。

摂食障害もバロメーターです。無理すると症状が重くなるからです。

 

 

今の自分にとって「きついな」「無理矢理やって後で苦しむことになるな」と思うことは、取り組むのをやめていました。

そのうち、がんばるのが怖くなっていったわけです。

 

 

病気が治ってきて、好きな仕事に出会うと、「がんばる=無理をする」ではなく「がんばる=好きだから夢中になる」になっていきました。だから病気は良くなっていきました。

 

 

小さな子供の頃は、周りに合わせて無理をするという選択肢はなく、好きなことを好きなようにしていたはずです。

そういう小さな頃の自分の性質を思い返してみると、後から自分が身につけて自分を苦しめている鎧に気づきます(もちろん社会人として身につけるべきことはありますが)

 

 

私の場合、小さな頃から好きなことには突進して伸び伸びと集中していました。

それが中学になり、「先生からの評価を上げるため、友達に良く思われるためにがんばる」という外発的な行動を長時間するようになったため、「無理してやっている、本当は自分がどうしたいのか分からない」状態になったのでした。

 

 

人 に親切にするのも、奉仕をすることも、学校生活を送る中で「評価を得るために形だけ」になり、本当に心から人を思いやる人の気持ちが分からなくなりました し、一つ一つの行動を人と比べたり優劣をつけようとしたりする習慣がついて、どんどん心がどこかへ行ってしまうようでした。

 

 

怖い、悲しい、という感情はあるけれど、人を見た目の行動で判断して、自己中心的になっていく気がしました。

心の病気を経て、小さな頃のような「純粋に楽しいから行動している」というものを見つけてからは、徐々にがんばるのが大丈夫になりました。好きでやっていることですから。仕事でなくても、子供のころのような「純粋に好きなことをする時間・対象」はありますか。

 

 

病気の時の経験があるので、今でも「がんばって」「がんばる!」と簡単に言うことには抵抗があります。何か他の言い方を探しますね。

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