コラム
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人からどう見られるか、自分をどう見るかが気になる人へ【心の姿勢美人への道~心のストレッチ】611日目
- 心の健康に関するコラム
- 2019.07.26
高校3年生の関東大会の時の写真。
「この大会で勝たないと全国大会に行けない」という
ものすごいプレッシャーのなか競技していました。
先日実業団ランナーだった方とお話をしていて
「実業団の時は、死ぬ思いで走っていました。
引退してから今までも、走ることは好きだし
気持ちがいいからずっと走っているのだけど
しばらくレース(マラソン大会)には出られなかったです。
レースに出れば、周りの人から
『タイムはいくつだったの?』と聞かれるし
自分がどのくらいのペースで走っているか
見られたり分かったりしてしまう。
遅くなったことを知られたくなかったから。
最近やっと吹っ切れましたけど」
と話してくれました。
これも高校3年の関東大会。
100mHと走幅跳を専門にしていました。
一方私はというと、彼女とは少し違って
競技をやり切った後は、走ること自体が
嫌になったこともあります。
それは、周りの人にどう思われるか、ではなくて
速く走れない自分が、自分で嫌だったからです。
速く走れないのに『楽しい』とか『気持ちいい』とか
言いたくなかったし、思えなかったのです
それは体重を計るのとも少し似ていて
「もう少し体重落としてから計ろう」と
思ったりしませんか
そしてその時はなかなか来ない
つまり、体重が軽い自分は認めるけれど
体重が重い自分は認めたくないし、見たくない
みたいな。
体重を計らなくたって、重い自分であることには変わりないのに
『体重計に乗る』『自分の数字を見る』ということは
自己評価にダイレクトに関わることなのですね。
中学の卒業文集のイラストも、描いてました。
私「お金持ちになりそうな女子」1位だったようですが…
でも体重ではなくて、視力や聴力だったら
『ちょっと計ってみるか』と気軽に計って
自己評価が落ちるということはないのです。
最近やっと、私も
今のありのままの自分を
『お!そうなんだ。』と評価を下げることなく
受け止めることができるようになってきたところです。
ふ~。
皆さんは、そういうことありますか